−マニヴェル監督との仕事の分担の仕方は?

五十嵐 基本的にすべて話しあって進めました。役割分担はしていません。できるときにできることを臨機応変にやるという関係性です。このシーンがどういうシーンか、ダミアンが鳳羅くんに説明することもありました。

−五十嵐監督から見た冬の弘前の風景は?

五十嵐 降り積もる雪で音が吸収されて幻想的なほど静かな土地であると同時に、人の営みが連綿と続いているという現実感もある。両者のコントラストが際立っている街です。僕が最初に訪れたときも、やっぱり雪が降っていて、僕の息づかい、歩くときのザッザという音が聞こえるだけでした。

−セリフを排した理由も、そこにあったんですね。

五十嵐 そうですね。それと鳳羅君は、動きや感情がすごく自然で、行動や身体の変化が表現そのものなんです。だから余分な言葉は必要ありませんでした。

− セリフも音楽もない前半から転じて、後半にヴィヴァルディの「四季」がBGMとして挿入されますが、それは春のイメージを喚起させるためですか?

五十嵐 作品と同じようななんでもないけれど特別な1日が、冬が終わっても鳳羅くんには訪れるはずです。「四季」の「春」を使うことで、未来へのつながりを演出したいと考えました。

−タイトルには、どのような意図が?

五十嵐 画家の谷内六郎さんの同名作品へのオマージュです。谷内さんの作品は、夏休みの昼に泳ぎ疲れて夜ぐっすり寝ている子どもが描かれています。子どもが寝ているベッドは、海に浮かんでいて、魚も泳いでいる。鳳羅くんが雪の中をお父さんが働いている魚市場へ向かうイメージにも重なるし、現実なのに夢を見ているような雰囲気もこの映画のコンセプトに通じるし、夜に始まって夜に終わる物語の時間軸にも沿っています。

−だから魚のイラストが最初に登場するんですね。特に意識した先行作品はありますか?

五十嵐 アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』とか、フランソワ・トリュフォーの『大人はわかってくれない』とか、子どもが登場する作品は僕も好きでよく観ています。どれも名作で、めちゃくちゃ面白いじゃないですか。でも、真似をしても意味がない。それにそういった子どもが登場する作品には、必ずといっていいほどどこかで大人が登場して、子どもの世界との対立構造を顕在化させるんです。とくにキアロスタミ作品の場合、大人が「壁」の役割として登場して、何かを子どもに教え諭そうとする。でも、僕は子どもの目線だけの物語を作りたかったんです。

−子どもだけの世界にすると、どんな物語になりますか?

五十嵐 大人にとって分かりやすい物語の起伏が希薄になります。その代わり、子どもの価値観が物語を推進していきます。大人にとっては本当に些細なこと、でも子どもにとっては大きな出来事が、物語の行方を左右していきます。雪があるからこっちに進もう、寒いから風を避けられる場所で休もう、寂しいから誰かに会いたい、そういう物語が生まれていくんですよ。でもそれって本当に理屈じゃなくて感覚的なことで、大人が理解しようとしてもなかなか気づかない。だから、観客の皆さんにも、僕やダミアンと一緒に感覚的に自由な気持ちになって映画を観てほしいと思います。

− もうひとつ、作品からはとても絵画的な印象を受けました。分かりやすい物語の流れが後景に退くことで、観ている側はそう感じるんでしょうか?

五十嵐 セリフがなくてイメージの連鎖で物語が進んでいくので、そう感じるんだと思います。それと画角も影響しています。ビスタサイズと呼ばれる16対9とか横長の画角が現在の主流ですよね。でも、『泳ぎすぎた夜』は、昔ながらの4対3のスタンダードサイズで撮影しています。スタンダードサイズだと、縦横の比率が絵本に近い。この映画は、実際の家族に出演してもらって、お父さんが働いている魚市場を主人公の鳳羅君は目指します。だからドキュメンタリー的な要素が強いんです。でも撮影は、フィクショナルで絵画的な手法を採用しました。

− 弘前という雪の降る街に住む子どもの現実を、詩的に撮影されたということでしょうか。いちばん思い出に残っているシーンはありますか?

五十嵐 物語後半の吹雪の魚市場のシーンですね。なるべく順番に撮ろうとしていたんですが、冬の弘前は天気が変わりやすくて、撮影期間前半に訪れた吹雪の日に、予定を変更して撮ったんです。鳳羅君は、魚市場で撮影することがわかると、お父さんに会えるかもしれないから本当にうれしそうでした。でも、早朝から勤務しているお父さんは昼に仕事が終わって、ちょうど僕たちが着いたときに帰宅するところだった。鳳羅君とお父さんは一瞬しか会えず、すれ違いになってしまったんです。当然鳳羅くんのテンションも下がってしまった。でもそれって、まさに僕たちがそのとき撮ろうとしていたことだったんです。予測できない自然の影響によって、奇跡的に現実が映画と同じシチュエーションになった。「こんなことってあるんだな」と思いました。

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