-今回、舞台に「風乃家」の裏の森に繋がる銀のアルミ箔で覆った擁壁を選ばれたのは? (インタビュー中の)今、敷地内の建物である「風乃家」の壁の一部を取り外して、観客が「風乃家」から舞台を覗き込めるようにしていますね。

田中 僕が選んだんじゃない。樂土の森ではこれまでにいろいろな場所で踊っていて、マツダさんから「ここ使っていませんね」って今朝、提案された。建物の壁もはずしちゃいましょうと。ちょっと境界を侵犯しようかっていう彼の意識じゃないですかね。だから僕は「乗った!」って、彼の提案をすぐに受け入れました。

-心地良く踊っているときの身体的な感覚には、どういったものがありますか?

田中 まず第一に「自分にとって良い時間だった」と言える時間を作りたい。それが運良く相手にとっても良い時間だったら、それに超したことはない。つまらなかったら止めようという気持ちはいつもありますね。心地良さって、自意識からくるものじゃなくて、やっぱり身体の問題だと思っています。だから、踊りが期待しているものに近い状態のときは、きっと心地が良いんでしょうね。生きていること、考えていること、自分の存在全てがうまくいっている状態。踊りがうまくいっているというのは、僕自身がうまくいっているってことだと思う。

-かつてのインタビューで、踊っているときは感覚が研ぎ澄まされ、周りのすべてのものが知覚されているとおっしゃっていましたが、その感覚と心地良さは一緒ですか?

田中 同じです。つまり、自意識とかなり遠いところにあるということです。身体の中に私という存在が暮らしているんだけれど、それが境い目のない状態になってほしいと思うんですよ。身体が私だって言いたい。しかし現実は身体と私のギャップが私の人生を作っちゃってる。僕がダンスを選んだ大きな理由は、たぶんそのギャップを埋めたいからだと思います。もっと極端な言い方をすれば、人間以外の生き物に近づくためにダンスをしている、ということかもしれません。人間は他の生き物が持たない発達した脳を持っている。そこで自分だと思っている領域に人は暮らしている。でも多分、人間が果たし得なかった本当の意味での生き物との対話を、ダンスなら果たすことができる。今はまだ、とてもとてもそういった境地ではありませんけど、いつかそう言いたい。風に当たって、正直に「ああ、生きてるな!」って言いたいです。

-田中さんにとってのダンスについて、もう少し詳しく教えてください。

田中 本来ダンスっていうのは、作品性を持っているものではないと思っています。主張すべきことすらないんじゃないかなと。ただ、言葉にならないものはきっと見る人に伝わる。見る人はひょっとしたら僕の踊りから僕の性格を見たり何を考えてるんだろうかと考えると思う。言葉を使っていないからこそ起きることが、多様であればあるほど、僕の無言の行為ってのは、使い道があるんだろうなと。僕と観客一人一人の関係だと思います。みんな違った関係を持っているわけです。最初から色眼鏡で見る人もいるでしょうし、凝り固まった見方の人もいるでしょうし。でもダンスって、世界でもっとも伝統的なものなんです。人類が最初から持ち合わせている身体から発する言葉なんですよ。僕たちは言語を使っていますが、どんな言葉を話すのか本当に選択できているかといったら、そんなことはないわけです。

1 2 3 4